作曲家の話

タイトルって

いっつも何書こうか迷うんですよね。

「もういっそ何も書かないままで行くか」とか魔が差してみたりもするんですが、どうだろう。(いや、訊かれても困

 

 

ショパンの両親のこと、調べておきました!

お父さんのニコラス・ショパン(ショパンって時点で既に笑えるな/笑)は、確かにフランス人でした。どうやらロレーヌの出身らしいですね。フランスの北東部にあるんですけど……確かドイツに隣接している場所だったような気がするんですけど、っと思ったら本当にそうでした。→ここ

一応生没年は1771~1844です。

1787年(16歳ぐらいですか)にポーランドのワルシャワに出てきて、煙草工場の事務員をした後、1802年にスカルベック伯爵家の家庭教師になってます。使用人じゃなかったか…。

丁度スカルベック伯爵夫人が、子ども達のためにフランス語の教師を捜していたんですよね。ニコラスさんは元々フランスの人だったから、当然フランス語は堪能であるわけで。

まあニコラスさんだけでも色々語れるのですが、ここまでにて。

次にお母さんのユスチナ・クルジャノフスカ(1782~1861)ですが、上記のスカルベック伯爵夫人の遠縁に当たる人だそうです。ニコラスさんが家庭教師に来た頃には、このスカルベック家で侍女をしていました。

資料が足りなくて、ユスチナさんに関してはここまでしか分かりませんでした……。概して、女性は資料が残りにくいものなんですけど。困ったものだな。

それで二人は伯爵家で出会い、お互いに恋に落ちて1806年6月2日にジェラゾヴァ・ボーラのブロフフ教会で挙式しています。

 

あ、ちなみに「フレデリック・フランチシェク」・ショパン名前の由来なんですけど…。

フリセック(F・F・ショパンのあだ名)が生まれたのと同年の1810年2月22日に、スカルベック家にも息子さんが生まれているんです。フレデリック・フロリアン・スカルベックっていうんですけど。その子にあやかろうと、名前を借用したようです。

でも、フレデリック・スカルベク(これはフレデリック・フロリアン・スカルベックの父親の方ですが)がショパンの名付け親になった、という資料もあるんですがね。

それとフランチシェクの部分ですけど、これはフリセックのおじいちゃん、フランチシェク・ショパン(元々はショペンだったんですけど、フランスでワイン商を営む際にフランスで通りやすいようにショパンに改名したようです)から取ったみたいですね。

 

ショパンの元婚約者コンスタンツィア・グラドコフスカがショパンと破局後に結婚したのは、このスカルベック家の息子なんですが……、フレデリック・フロリアン・スカルベックの方か、ユゼフ・スカルベックの方か……僕は詳しく知らないんですけど、まあどちらにしても因果なことです。

結局離婚してしまうんですけどね。

 

 

それから、フェリックス・メンデルスゾーンのおじいちゃん。

名前、モーゼスでした。名字をメンデルスゾーンと名乗るようになったのもこの人の代からですね。

哲学を専門にしている人が言うには、エマヌエル・カントと同時代の人で、しかもかなり仲が良かったみたいです。哲学の論文大会で、モーゼスがカントら強豪を相手にしながら金賞を取ったのがきっかけだそうで。

モーゼスが論争をした相手は、主にキリスト教神学者のようですね。モーゼス自身は論争に乗り気ではなかったようですが、巻き込まれて仕方なく、というところのようです。

モーゼス自体ユダヤ教徒でしたから、「キリスト教に真実を見いだし改宗するか、キリスト教を否定し戦うか、どちらか」と、スイス(チューリッヒ)の哲学者ヨハン・カスパール・ラヴァターに迫られたのが最初だそうで。

まあ結局モーゼスがやんわりと応対(「自分は、自分が素晴らしいと信じるユダヤ教のままでいる。宗教や立場が違っても、人々を徳行に導き正しい行いをしているのであれば、否定する必要もなく、お互いに解り合えると確信する」という感じの返答)をして、ラヴァターとは仲直りできたのですが。

しかしこのラヴァターとのやりとりの後、色々別の人達からもつつかれまして、暫くごたごたしていたようです。

モーゼスはこれらの事でほとほとうんざりしたらしく、「私は心身ともに、闘争には向いていないよ」と友人に手紙を書いています。

 

 

前回した、プレイエルピアノの話。

制作会社設立者はイニャース・ジョゼフ・プレイエルで、カミーユ・プレイエルは息子(長男)でした。

ちなみにこのイニャース・ジョゼフ・プレイエルはハイドンの弟子ですね。元々は作曲家だったのですが、1807年にピアノ製作会社を設立しています。

 

 

 

調べ物って調べれば調べるだけごっさごっさ出てくるんで、「ここまでで打ち切り」と自分で決めないと、いつまで経っても終わんない。(苦

 

 

……でもなー……カミーユ・プレイエルって絶対元々建築家だったはずなんだけどなー……。(まだ言うか

何か音楽関係ない本で読んだんですよ。何だったかなあ……。うわー思い出せない。

思い出せないと言えば、「モーツァルトの時代はp(ピアノ)はdolceと表記していた」って書いてあった本のタイトルも思い出せない。

f(フォルテ)も別の書き方してたんだけど、その本にちゃんと書いてあるはずなんです。何て書いてあったのかも思い出せない。

 

思い出せないことだらけ。

一週間前の夕食も思い出せない。

次の実技試験日も思い出せない。(いや、それは意地でも思い出せ

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最終更新から

気付けば二ヶ月……。

もうそろそろ人間を自称するのは詐欺のような気がしてきました。(!!!

今晩は。ヒトカタです。

 

秋の演奏会ラッシュが終わり、まずは一段落。とは言っても自分で演奏した演奏会はあまりなくて、ほとんど友人の演奏会の手伝いだったのですが。

それにしても、秋は演奏会やコンクールが多いような気がするのですが何でだろう? 謎なんだぜ(何その語尾

 

 

もう11月になってしまいますね……orz

何かというと更新が止まる癖、何とかしたい。

 

あ、11月と言えば、フェリックス・メンデルスゾーンが死んだ月ですね。(月の初めに何とも縁起の悪い話だなおい

1847年の11月4日、脳卒中でお亡くなりに。どうもこの脳卒中というのは、家系的にそうだったらしいですね。お姉さんのファニーも脳卒中が原因で亡くなったらしいですよ。

姉ファニー42歳、弟フェリックス38歳。

なんとショパンさんよりも若死にですね。(ショパンは39歳。

夭折と言っても差し支えないんじゃないでしょうか。

 

……ん?

フェリックス・メンデルスゾーンが生まれたのが確か1809年ですよね? で、1847年に死んだと。

それでフレデリック・ショパンが1810年生まれ、没年が1849年ですか。

あら嫌だ。ショパンさんまだ生きてますよ!(ショパンあんまり関係ないよ

 

ああ……いまだにショパンネタで暴走できるって……恐るべし、トラスティベル(そっちか

メンデルスゾーンに話を戻します。

 

うろ覚えなのですが、「フェリックス」って「幸福」とかいう意味じゃなかったかな?

日本語で言うと「幸雄」とかぐらいですか。(わざわざ日本語にするなよ

 

まあそれはともかく。

このフェリックス・メンデルスゾーンですが、おじいさんがあのメンデルスゾーンらしいですよ………………当たり前か。(そうだね

上の名前を知らないんですけど、おじいさんが哲学者だったんです。哲学を学んだりしている人はなじみ深いと思うんですが、某という人とやりあったので有名だとか……説明になってないですね。

哲学詳しくないんで…すみません。

哲学詳しい方、教えてくださいm(_ _)m

ちなみにフェリックスのお父さんは銀行家でした。メンデルスゾーン銀行……あ、本当にそういう名前の銀行だったんですよ。今でっち上げたわけではないです。断じて。

 

この幸雄……ではなくフェリックス氏、自分の作品で有名と言うよりは、バッハ再興に貢献したことの方で有名です。音楽史的に有名ついでに、作品も知られている、という珍しいタイプの作曲家。

この人のお陰で、現代人はバッハを知っていて、バッハのカツラの話で盛り上がれる訳です。(いや、そこまで盛り上がってはない

その時の詳しい経緯は話せば長いのですが、要約しますと、↓

 

1・父親が資産家なので知人に金持ちのコレクターが多く、そのつてでバッハの楽譜を手にする。

2・あまりに素晴らしいので、再演を決意。

3・自分の時代に合うように自分で編曲して再演。(曲は『マタイ受難曲』。

4・一般大衆にはなかなか受け入れられなかったけど、音楽家連中には注目されたので、ひとまず成功??

 

……とまあ、こんな感じ。(要約しすぎ?

これ以降、バッハの楽譜が出回るようになって、ショパンはバッハのまねをして前奏曲集を作り、そのショパンのまねをしてドビュッシーも前奏曲集を作るんですね。

あ、ドビュッシーはショパンに取り憑かれてるのかってぐらいショパンが好きだったんですよ。ショパン弾きだったんです。ドビュッシーの知人っていう人がそう書き残してますし、多分間違いない。

 

 

うーん、作曲家の話って言うのは、一人分話し出すといろんな作曲家にまで話が繋がるので、非常におもしろいですね。

辿っていくのが大変ではありますが……。

 

 

フェリックス・メンデルスゾーンと言う人は、当時は多少名の知れた音楽家であったようです。父の知り合いで新聞社の人がいたので、その関係で宣伝してもらえたから……という事であるようで。

フェリックス本人は、「自分は父の知人の関係で宣伝してもらえているから、多少名は知れているけれど、周りの音楽家達はそういうものもなく、売り込み方も悪いので名前が知られていない。でも、名声に反して、自分には彼らほどの才能がない」とか、嘆いていました。日記で。密かに。

本当に才能がなかったかどうかはともかく、かわいそうな人なんですよ……。もうね、涙出るね。

ピアノでは『無言歌集』というのが有名で、弾きやすい曲も結構入っているんで、皆さん弾いてあげてください。

あ、ピアノじゃありませんが、ヴァイオリン協奏曲『宗教改革』も有名な曲ではあります。いい曲です。多分、聞いたことがあるはず。

音楽の世界では「メンデルスゾーンのヴァイオリン・コンチェルト『宗教改革』」、略して

 

「メンコン」

 

と言うそうな。

音楽関係者の言語センスを問いたい今日この頃です。(それシメの一言かよ

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